労わってもらうんじゃない、自分で労わるんだ
わたしより歳上の人にお誕生日おめでとうのラインやメールを送ると、『もう、めでたい年齢でもないが』といった返信を返してくる人が何人かいる。
まあ、そうかもしれないが。
わたしも年齢を重ねることを喜んでいるわけではないけれど、ここ数年は自分にささやかなプレゼントを贈ることにしている。祝うというか、労ろうという気持ちのほうが大きい。なんかむしゃくしゃするとか、なんか違うとか思ったりするときは、とにかくひとつでも小さな願いを自分のチカラで叶えるというのをやってみたらいいかと思う。なんでもいい、映画を観に行くでもいい、季節折々の風景を見に行くでもいい、どこそこのランチを食べるでもいい、達成すると気持ちがよいものだ。ひとりで行くということに抵抗があるかもしれないけど、やってみたら平気な場所はけっこうあるものだ。というわたしもひとりで入れないお店はあるので、大きなことは言えないけど。
自分で自分を労ったり、自分の機嫌を取れる方法を持つって、けっこう大事だと思う。
というわけで、定時まで仕事をして繁華街へ出かけた。というのは先日の記事に書いたのだけど、まだ続きがある。
べらぼうに美味しいとんかつを食べ終えて、やや急ぎ足でデパ地下へ降りた。お目当てのケーキ屋さんで、ケーキを買って帰るために。時間も時間だし売り切れているかもと少し焦ったけど、まだ残っていてこちらを向いて、出迎えてくれているようだった。モンブランを買おうと思っていたのだけど、それより勝って美味しそうだった、イチゴがのっかったやつにした。
こうみえて1つがけっこう大きい。ケーキを『ひとつだけ』って買ったことがない。ひとつってなんだか申し訳ない気がして、近所のケーキ屋でも2つ買ってしまう。でもここのケーキは、ひとつが700円ほど。2つは買えない値段だ。
思わず「ひとつでもいいですか?」と、聞いてしまった。ここでもまた小心者が登場したのだけど、可愛らしい店員さんが「もちろんでございます!」と答えてくれた。「もちろん」って心強い言葉だと改めて感じた。言葉に救われるとはこのことだ。
ほんとうにひとつだけ、丁寧に箱に詰められていた。
お値段もはるからか、何枚も撮ってしまった。やはり写真は難しい。インスタを見ているととても上手な写真が投稿されているが、わたしにはなかなか難しい。
イチゴが大きくてとても甘くてたまらなかった。生クリームのあとに食べたって、全然すっぱく感じないのだ、相当甘い。イチゴをアップで撮ってみた。よかったら見ていってほしい。
大きすぎるからか、縦にスライスしてある。パッと見は全然わからなかった。縦にスライスできるイチゴってどんなに大きいのか。
ケーキを買い終えて、ケーキに細心の注意を払いながらフランフランへ行った。ガラスのクリスマスツリーを買おうと思っていた。1,000円なので普段でも買えばよいのだが、数年前に300円で買ったツリーを持っているため迷っていた。でももう買おうと思った。買ってよかった、かわいい。
結果、すごく満たされた。楽しんだ。お料理やスイーツが美味しかったのはもちろんだけど、思い切って定時でサッと会社を出て、繁華街へ行って、キラキラしたイルミネーションがあちらこちらにあって、店員さんの心地よい接客と、自分の好きなことをする快感。かなりささやかではあるけれど、そのささやかが大事で、幸せなのだと思う。楽しんだもの勝ちだ。